桜の古木(こぼく)の麓(ふもと)には、 虫の村がありました。 秋の最後の満月の日は、 秋と冬とのはざまの日。 昼と夜とのはざまのたそがれ時。 音楽祭が始まります。 歌自慢はもちろんのこと、 歌が苦手な虫は裏方と、 村のみんなが出演します。 それゆえ…
月夜の道を帰るクモ。 指揮者のバッタを想います。 バッタは息子の親友です。 息子は離れて暮らしています。 クモは小さなため息ひとつ。 祭が終われば冬が来ます。 虫たちがいない、冬がきます。 さらにはケムシもミノムシも、 冬を越えたら、いなくなりま…
その翌朝にはミノムシが、 冬越え用のミノを受け取りに、 クモの家にとやって来ます。 八本手足を持つクモが、 ミノムシのミノを繕います。 その縫い針はケムシの毛針。 二匹で一緒に住んでいます。 「ミノがあれば誰だって、 冬が越せるかも知れないね」 に…
今度は、自分のミノを頼もうと、 みんながみんな、大騒ぎ。 その時トノサマバッタ村長の、 大きな声が響きます。 「我らが冬を越せぬのは、 カミサマの定めた理(ことわり)なり」 みんなは揃って姿勢を正し、 一斉に村長に注目します。 「音楽祭は終わった。 …
それからクモは、ひたすらに、 ミノを作りに作ります。 十着まではすぐできます。 二十をすぎて二十八にもなると、 色とりどりだったミノは、 枯葉の色になりました。 ある夜、ひとり村長が、 クモの様子を見に来ました。 手を止めないクモに代わり、 ケムシ…
ついに、四十を越えたミノ作り。 いよいよ枯れ葉が固くなり、 ケムシの毛針も折れるほど。 なかなか、はかがゆきません。 それゆえクモはひたすらに、 休まずミノを作ります。 眠りもせずに作ります。 「クモさん、お願い、休んでください」 みんなの希望を…
そこは、一面の銀世界。 村には昨夜の初雪が、 薄く積っておりました。 戸を閉めたケムシは、 村長の家へと急ぎます。 それからバッタの家へ。 そして、みんなの家にも。 ケムシの歩みは全身で、 のろのろのろのろ進みます。 ですから、ケムシが帰ってきた頃…
それでも時は流れます。 それでも、春はやって来ます。 その春がゆき、夏が来る頃、 虫の子供たちが生まれました。 虫の子供たち、 みんな合わせて四十七匹。 撫子の林の影で、 子供たちが遊んでいると、 枯葉の山を引きずって、 毛針の怪物が現れました。 …
「これはミノだよ」 枯葉の山から突然、声が聞こえて、 みんなは飛び上がります。 よくよく見ると枯葉色の翅の怪物が、 枯葉の山の上にいます。 「おれはミノ蛾で、元はミノムシ。 さっきの怪物はケムシくん」 ミノムシといういきものは、 春になったらミノ…
夏が去って秋になっても、 時が止まったこの家で、 ケムシはケムシのままでした。 村長に頼まれたのに、 ケムシはクモを守れませんでした。 クモの夢も、みんなの夢も、 どちらも、かないませんでした。 しかも、それらの夢たちは、 みなくてもいい夢でした…
いつしか秋の最後の満月の夜。 外の声に気づいたケムシは、 閉め切っていた戸を開きます。 空には満月と満天の星。 蒼い月明かりのその下に、 村のみんなが並んでいました。 みんなはミノを着ています。 トノサマバッタがお辞儀します。 あの村長の娘です。 …
すると、晴れた星月夜の空から、 白い雪が舞い降りてきました。 「ああ。クモさんは、ここにいる」 風花(かざばな)が舞う星月夜の下、 静まり返った夜の中、 虫たちの『祝いの歌』は、 誇らしげに響き渡りました。 ミノを着たみんなは一緒に、 翌日から眠…
いつしかケムシの身体には、 異変がおきてしまいます。 ケムシの毛針は抜けおちて、 硬い皮にて覆われます。 ケムシは動けなくなります。 身動きとれないケムシは、 深い眠りに落ちました。 長い眠りのその果てに、 懐かしい声が聞こえます。 「希望のミノが…
ケムシは目を覚します。 なんと、ケムシの身体には、 蟻が群がっていました。 蟻たちはケムシの身体を、 地中に運び込もうとしています。 けれどもケムシは動けません。 「ああ、このままではみんなとの、 約束が果たせない」 「ケムシさんを放せ」 そこに飛…
そのクモが見たものは、 ケムシの変わり果てた姿でした。 大きなクモに襲われて、 蟻は逃げてしまいます。 「ああクモさん。また会えた」 笑ったケムシが見たのは、 息子のクモか。それとも。 まさにその時も時。 ケムシの身体が二つに割れて、 黒い翅が現れ…
すると、かわたれ時の空から、 白いものが舞い降ります。 「まさか、今ごろ、雪なのか?」 見上げるクモの上に舞い降りてきた、 咲いたばかりの桜の花びら。 暁に舞うのは、 小さな、小さな桜吹雪。 春の曙の光の中。 黒い蝶が起こした桜吹雪が、 村長が眠る…
その梅の木の麓にあるちいさな野原に、虫たちの村がありました。 その村には、クモの仕立屋がいました。 クモの仕立屋は八本の手足を使い上等の糸で仕事をするので、繁盛していました。 この村は、ちいさな村でした。村に今、秋が来ていました。 静かな秋が…
翌日も、昨日と同じ高い秋空の日でした。 昼下りの秋の柔らかい日差しが木の葉にあたるのを、クモとケムシがぼんやりと眺めていると、ミノムシがやって来ました。 ミノムシは冬を越す為のミノをクモに繕ってもらうのです。 みんなは秋の日差しの入って来る部…
クモは音楽祭の間中、指揮者のバッタの姿ばかりを見ていました。 バッタは郵便の配達の時ばかりでなく、ちょくちょくクモの家に顔を出してくれました。バッタはクモの息子と仲が良かったので、クモの息子がこの村を出た後、郵便の配達のついでに、クモの様子…
その翌日も素晴らしくいいお天気でした。 真赤に染まった木の葉に柔らかな秋の陽がさしていました。 「おはようございます」 ミノムシが、にこにこにこにこやって来ました。 クモもケムシも、昨晩の帰りが遅かったので、久しぶりに朝寝坊をしてしまっていま…
クモは、小さな野原の隅にあるバッタの家へ行きました。 バッタは、もうびっくりしてしまいます。 「冬を越せるのですか。ぼくが。ぼくが」 「とにかく私がミノを作るよ。なあに、すぐにできる。できるさ」 クモは、にこにこいった後、少し厳しい顔を作りま…
翌朝、 虫たちの、がやがやがやがやで、クモとケムシは目を覚ましました。 まだお日様が登りきっていないような早い朝です。 戸を開けてみると、家の前にはコオロギやスズムシたちみんなが来ていました。 「どうしたのですか。いったい」 クモが顔を出したの…
その時です。 黙ってみんなを見つめていた、村長のトノサマバッタが大声をだします。 「待ってくれ、私の話を聞いてくれ」 みんなは一斉に村長を見ました。 「私の話を聞いてほしい。私たちは音楽祭も終わって、本当ならばこのままお別れする運命なのだよ」 …
みんなの後姿を見送りながら、クモは呟きます。 「大変なことになった。どうしよう」 みんなの夢を叶えるような力が自分にあるのか。 みんなの運命を変えるような、そんな大それたことが、自分にできるのか。 「私は、ただ、バッタくんともう少しだけ一緒に…
それからクモは大急ぎでミノムシのところに行きます。 冬眠に入る前に、ミノムシに、ミノムシの糸をもらうためです。 固い木の葉をつなぎ合わせてミノを作るには、クモの糸よりも強力なミノムシの糸が必要なのです。 バッタとイナゴのミノだけならば、クモが…
それからのクモは、朝は早くから夜も遅くまで、ひたすらミノを作りました。 「こうなったら、やるしかない」 クモは、口を開けば、そう繰り返します。 十着目までは、すぐにできました。二十着を過ぎて二十八着目になると、それまで赤や黄色のきれいな木の葉…
眉を上げるケムシにトノサマバッタが、うなずきます。 「もちろん、村のみんなが、自分のミノが間に合う者と、間に合わない者にわかれてしまうのを避けたかったのはほんとうです。私はとにかく、争いを避けたかった。みんなが争わないように、みんなをひとつ…
村長は笑います。 「みんなは、『運命』という言葉を受け容れたのだとおもいます。春を見たいかどうか。その思いはそれぞれです。たとえば、キリギリスさんは、『春を見た時に、私がどんな歌をうたうかが楽しみよ』といっていました。キリギリスさんには、音…
いよいよ最後のミノを作りだしたクモの背中を見ていたケムシは、これで最後だとなんとなく安心して、疲れた頭を振って外に出てびっくりしました。 いつもの年よりも早い初雪が、村に積っていました。 悪い夢でも見ているような気になったケムシは、大急ぎで…
クモの仕事は続きます。 今、クモだけが、みんなの運命を変えることができるのです。 クモはもう夜もほとんど眠らずに、仕事ばかりしておりました。 いよいよ四十着を過ぎると枯れ葉は固くなってしまっていて、クモの仕事ははかどらなくなりました。 固いケ…