咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ

はざまのカミサマ。外伝。田村21

「なんじは、我らを生かしておきたいことだろう」 アテナイの言葉に田村麻呂はうなずきます。 征夷大将軍である坂上田村麻呂には、戦争に勝つというだけでなく、戦後処理を成功させる任務があります。 そして、勝者が戦後処理を成功させるには、敗者の代表者…

はざまのカミサマ。外伝。田村20

蝦夷の酋長モレの言う通りなのです。 大和朝廷が蝦夷を蔑む理由に、 「蝦夷は蛮族で道理がわからない」 ということがあります。 しかし、 仏教を信仰していることからも、 悪霊を恐れることからも、 「不殺」 を主張する大和朝廷が、 蛮族であるという理由で…

はざまのカミサマ。外伝。田村19

田村麻呂は、蝦夷の酋長アテナイとモレを、自分の屋敷に軟禁していました。大和朝廷にとって、二人は蝦夷の降伏の証しでしたが、いわゆる「和睦の為の人質」ですから拘束することはできません。 蝦夷の酋長に対して、征夷大将軍坂上田村麻呂は頭を下げました…

はざまのカミサマ外伝。田村18

平安京で恐れられていた悪霊とは、なんと早良親王の霊でした。 「親王禅師」との畏敬を受けていた早良親王は、 その無念の死への人びとの同情と、 親王を死に追い遣った者たちにうしろめたさ、 さらには高僧であった親王の法力への畏敬から、 平安の都を大き…

はざまのカミサマ外伝。田村17.

坂上田村麻呂の蝦夷地での戦争に大きな変化が起きます。 蝦夷の大酋長であるアテナイとモレの二人が降伏してきたのです。 蝦夷の人たちは、蝦夷地が戦場になり、山河が荒され汚されることが耐えられなくなったのでした。 それに、大和朝廷との戦争には終わり…

はざまのカミサマ外伝。田村16

渡来人の家系である坂上田村麻呂からみれば、 神道の天津神や国津神は、大王の家系が、「万世一系」という「理由」で、この国の統治者であることを説明するための「物語」の登場人物でした。 東大寺の大仏をはじめとする仏たちも、加持祈祷という当時の科学…

はざまのカミサマ外伝.田村15

「しかし、親王禅師の霊は、蝦夷にはおわさぬ」 田村麻呂は、蝦夷地を転戦する中で、そう確信します。 桓武帝が蝦夷に「霊視」したのは、平安京では見知らぬ「カミサマ」の姿でした。 四方に狐神を従えた強きカミサマ。 桓武帝は、そのカミサマは亡き親王禅…

はざまのカミサマ外伝.田村14

奈良の大仏の鋳造は田村麻呂の時代からほんの50年前のことでした。 天武帝系の大和朝廷は、「蝦夷征伐」という名の黄金強奪戦を始めました。 田村麻呂は、そのイクサを終わらせに来ています。 大陸からの渡来人の子孫である田村麻呂は、このクニの歴史を学ん…

はざまのカミサマ外伝.田村13

蝦夷のカミサマとは? 田村麻呂は考えを巡らせます。 狐神に守護されるカミサマ。 狐神は稲荷神。 桓武帝の大和朝廷が、稲作に適さない蝦夷の土地の支配を目指すのは、「新たなカミサマ」を捜す為です。 しかし、かつての蝦夷征伐の目的は違いました。 蝦夷…

はざまのカミサマ外伝.田村12

田村麻呂は蝦夷のタミに「平安」を提供しました。 とはいえ、蝦夷には農民はほとんどいません。 蝦夷のタミは狩猟や漁獲、他には豊かな森林の幸の収穫で暮らす人々がほとんどです。 大和朝廷の支配には「仏教」が伴います。そして「仏教」には「不殺戒」があ…

はざまのカミサマ.外伝.田村11

孤立化した大和反乱軍は、絶望的な決戦を挑んできます。これこそが田村麻呂の戦略でした。 こうして、田村麻呂軍が蝦夷地で乱暴狼藉を働いていた大和反乱軍を、壊滅させてしまいました。 この結果、田村麻呂は蝦夷の地に「治安」を、人々に「平安」を与える…

はざまのカミサマ外伝.田村10

「東西南北に、四体の狐神」 田村麻呂は帝のお言葉を思い描きます。 東西南北に四神がおわす形は、四天王に似ている。 四天王は帝釈天に支える。 さらば、四狐神にも、主となるカミサマがおわすのではないか。 蝦夷には、四狐をしもべとするカミサマがおわす…

はざまのカミサマ外伝.田村9

桓武帝は弟君、早良親王の死を「暗殺」ではなく「憤死」と発せられました。「憤死」という言葉には、無念さが滲みます。 帝は政争の具にされて「謀反人」と貶められた弟君の名誉を回復されることを望まれています。 最愛の弟の命も名誉も護れない。 ご自身が…

はざまのカミサマ外伝.田村8

もちろん、鈴鹿関の鬼「大嶽丸」というのは、その実は、大和朝廷に反乱を企だてる賊軍のことです。 賊の多くは治安を乱します。 民にとっては、奪う、傷つける、殺すの狼藉をはたらくことから、「鬼」のような存在です。 ですから、「大嶽丸の首が、東北の方…

はざまのカミサマ外伝.田村7

「他界」とは、人が死んでからいく「この世」ではない「他の世界」のことです。 このクニに仏教が入ってきて「あの世」のことを知る前は、人は死んだら「この世」から「他界」にいくのだと信じられていました。 後世でも人が死んだら「御他界になった」とい…

はざまのカミサマ外伝.田村6

田村麻呂の耳の奥で、節刀を賜わる時に桓武帝が囁いた言葉が響きます。 「四体の狐神。他界に行ってしまった」 桓武帝は御簾の奥で泣いておられるようでした。 「親王禅師様」 田村麻呂は旧主である親王禅師早良親王を想います。 早良親王は桓武帝の弟君。 …

はざまのカミサマ外伝.田村5

大和のタミが自分のことを「毘沙門天の生まれ変わり」と崇めていることを、田村麻呂は知っていました。 それほど田村麻呂の勝利は鮮やかなものでした。 ちなみに、後世、桶狭間にて勝利を挙げたときにも、尾張のタミは織田信長を「毘沙門天の生まれ変わり」…

はざまのカミサマ外伝.田村4

坂上田村麻呂は兵を率いて東に進みます。 この時代、このクニは、つまり「日本」とはいわゆる「西日本」を示します。 大和朝廷の支配は「西日本」にとどまり、東には大和朝廷に「まつろわぬ民」が暮らしていました。 つまり、東は「日本」ではありませんでし…

はざまのカミサマ外伝.田村3

「東大寺の盧舎那仏は、役に立たない」 桓武帝は、東大寺の大仏にそんな評価を下したのかも知れません。この場合の役に立たないというのは、もちろん、帝の利益にならないということを指します。 何故なら、桓武帝の皇太子であった弟君は「親王禅師」と称さ…

はざまのカミサマ外伝.田村2

自分はカミサマに選ばれたのだ。 桓武帝がそう思ったのも無理はありません。 桓武帝は「奇跡的に」帝位につきました。 その桓武帝は自分を選んだのは「仏さま」ではないことを知っていました。 あの巨大な大仏さまをはじめとする仏さまたちは、 「天武系」の…

はざまのカミサマ外伝.田村1

秦氏と同様に大陸から渡来した「東漢氏」という氏族がいました。 秦帝国の次の王朝である漢帝国の霊帝の子孫と称していました。 東漢氏は渡来人の棟梁ともいえる蘇我氏の手先として、大王の暗殺などに使われていました。 その後、東漢氏は「氏の名」を変えま…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝18

河勝が、上宮太子の死を受け容れることができないでいても、政治は、歴史は動いています。 上宮太子の子孫は、政治と歴史の中で滅ぼされてしまいました。 河勝には、何もできませんでした。 河勝は絶望します。 河勝は上宮太子に「賭けて」いました。 大陸か…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝.17

あの頃、甲斐の国から太子に馬が献上されました。 太子はその駿馬に乗ってま富士山の裾野を駆け巡りました。 太子の命は輝いていました。 その太子が突然この世を去りました。 暗殺。 河勝は、まずは、太子の死因を疑いました。 蘇我氏の族長である蘇我馬子…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝16

上宮皇子は橘寺の地で産まれました。 その昔、「常世の国」から橘の実を持ち帰ってきて、その実を植えたとされた橘寺。 橘の実は「黄金の林檎」とも呼ばれます。 右近の橘、左近の桜。 華やかに散る桜とは異なり、永久に緑を絶やさぬ橘。 橘寺の地で産まれた…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝15

河勝は後に「聖徳太子」と呼ばれることになる上宮皇子に出会ったときのことを、懐かしく思います。 「この皇子こそ、王の王とならん」 河勝は、皇子をカミサマにすることにします。このクニでは「伝説」があればカミサマになれます。河勝は、皇子のために様…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝.14

白狐を「カミサマのお使い」として氏神さまの神社にお祀りした秦河勝は、 常世の神というニセのカミサマを退治すること 死んでも遺骸を残さずにいたこと という二つのことで「人に在らざる人」である。 つまり、秦河勝は「カミサマ」である。と、 人々から信…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝13

太陽の女神の子孫が「現人神」ならば、それに敵対する者はいません。 敵がいない状況を「無敵」といいます。 このクニに君臨する者は、とくに「無敵」であることが望ましいのです。 なにしろ「和をもって貴し」と信じる人々のクニですから。 渡来人である蘇…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝12

カミサマたちのオハナシを書いていたはずが、 中央集権制国家というヒトのオハナシのようです。 けれども、中央集権制というのは、いわば、ただ一人の「現人神」をつくる仕組みです。 このクニは、太陽神の子孫の大王の家系が「現人神」として君臨していまし…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝11

聖徳太子の後継者の名を、山背大兄皇子と申されます。 「山背」というのは、奈良山の向こう、という意味で、 後に平安京がひらかれる土地の呼び名です。 この山背の地を開いたのが、秦河勝が率いる秦氏です。 ですから「山背大兄皇子」とは、いかにも秦氏と…

はざまのカミサマ外伝.秦河勝10

「権化の人は遺骸を残さないということわざの通り」 世阿弥は家伝書に河勝の最期を記します。 「カミサマが人の姿をしていた時には、この世を去る時には遺骸は残さない」 ということわざがあるのです。 つまり、遺骸を残さないでこの世を去る者は、人ではな…