咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ

はざまのカミサマ51

歴史上には、その流れを変える「特異点」があり、その「特異点」はいわゆる「傑人」によってもたらされます。 「はざまのカミサマ」の使徒は、歴史の「特異点」に現れることは間違いなさそうです。 そして、その目的はどうやらこの国での「唯一絶対神」への…

はざまのカミサマ50

日本人は、 ━世界の東の果てに連なる島々から成る「日本」というクニの住人を「日本人」と呼ぶとして、 日本人は、その歴史の上で、他の民族から征服された経験を持たない、稀有な民族といえます。 さらにいえば、大和朝廷という一つの王朝を、二千年近く戴…

はざまのカミサマ49

平安を求めるために、四方を神々に護られた都を作る。 さらには、鬼門にあたる叡山の地に、鎮護国家の寺を新設する。 これまでの仏教の経文や呪文に加えて、密教の真言を唱える。 これだけでは、「天下静謐」は得られないことを、 桓武帝は知っていました。 …

はざまのカミサマ48

乱れた天下を静めるために、矛をとめる、つまり「武」を成す。 「天下静謐」のための「天下布武」 桓武帝が、坂上田村麻呂を用いての「天下布武」で、 日本はひとつになりました。 絶対強者である桓武帝の下で、「天下静謐」となります。 しかし、桓武帝によ…

はざまのカミサマ47

御霊神となった早良親王の名を挙げたならば、 その兄である桓武帝の名を挙げないわけにはいきません。 とはいえ、聖徳太子から桓武帝、早良親王に連なる血統は、天津神の最高神である天照大神の血統です。 天津神や国津神は、この島国に地生えの「もののけ」…

はざまのカミサマ46

仏教を知る前、この島国では あらゆる命は、死んだら「他界」に行くものだ。 と、考えられていました。 今日でも、死ぬことを「他界した」とあらわすことがあります。 死後に行く「他界」は、人々の住む地域のそばの高山や海である場合がほとんどです。 人は…

はざまのカミサマ45

「この世」と「あの世」のはざまにある「はざまの世」の扉は、実はいつでも開いています。 昔からのこの島国の民は、そのことを知っていました。 たとえば、小さな沼や森にも、「沼のヌシ」や「森のヌシ」がいました。 「ヌシ」とは「主」でもあります。 山…

はざまのカミサマ44

はざまのカミサマの世の扉は、 どうやら新しい神様や新しい仏様が、 この国土にやって来る機会に開くもの そう思われていました。 初めて「仏教」というものがこの国土に伝来した時にも、 はざまのカミサマの世の扉が開いて、 秦河勝にその中を観せました。 …

はざまのカミサマ43

天武天皇がこの国の名を「日本」と名付けました。 聖徳太子も「日出ずる国」と名乗ったように、 この国は、西からの視点を気にしながら生きています。 この国は、西から日本になりました。 その西日本が東日本を攻め込んでいきます。 その土地に暮らしていた…

はざまのカミサマ42

はざまのカミサマとは、 この国の森羅万象が発する「精気」 つまり、この国の命有るもの、命無きもの、それらの全てのものが発する「精気」が集まったものなのでしょう。 その「精気」は、観る者が「理解できる形」をとります。 はざまのカミサマの使いは「…

はざまのカミサマ41

はざまのカミサマの使いは人の世で何をするのでしょう? はざまのカミサマは、「もののけ」の王です。 「もののけ」とは「物の怪」とも記します。 「物」とは、あらゆる「物」をさします。 「国土草木悉皆」が「物」です。 この国土の全てが「物」なのです。…

はざまのカミサマ40

ニワトリが先か?タマゴが先か? 国津神の子孫らを、天津神の子孫が治める島国。 大陸からこの島国に渡ってきた渡来人たちは、神々の子孫に抑えつけられていました。 天津神や国津神の神々の子孫に対して、 例えば秦氏のように、秦の始皇帝の子孫であるとか…

はざまのカミサマ39

ニワトリが先かタマゴが先か。 という議論があります。 原因から何かの結果が生まれます。 その結果が何事かの原因となります。 大陸で生まれた「道教」の流れを組むという「陰陽道」の中に、四神という東西南北を守る神々がいます。 東に青龍、南に朱雀、西…

はざまのカミサマ38

はざまのカミサマを中心に、東西南北をお守りする狐面。 東の狐面の色は青。顕すのは月。 南の狐面の色は赤。顕すのは花。 西の狐面の色は白。顕すのは雪。 そして、北には黒。顕すのは風。 「雪」「月」「花」というこの国の美しきものたち。 そして、その…

はざまのカミサマ37

「いつから、私はこの姿になった?」 黒狐は自分の両肩を抱きながら思います。 「いつから、彼らはここにいる?」 黒狐は、青、赤、白狐を見回します。 彼らは、手を伸ばせば触れることができそうなほどの近さにいるように見えます。 けれども、手を伸ばして…

はざまのカミサマ.36

「森羅万象」という言葉があります。 「宇宙に存在する一切のもの」を表す言葉です。 はざまのカミサマの世界を表すような言葉です。 「宇宙」という言葉があります。 「宇」は、「天地・四方・上下」、 つまり「空間」を表す文字です。 そして「宙」は、「…

はざまのカミサマ.35

仏は常にはいませども 現ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに 夢にみえたまふ はざまのカミサマは、たそがれ時や彼は誰時には ヒトにも、その姿が見えることがあります。 たいていは、カミサマの従者たちの姿を見て、 はざまのカミサマと見間違える…

はざまのカミサマ.34

「それでも、はざまのカミサマは、おわします」 白狐には、黒狐の女の唇が咲いたわけがわかります。 たとえ、胡蝶と紅梅の邂逅が、刹那であろうとも。 たとえ、はざまのカミサマを信じる人びとが、根絶やしにされようとも。 白狐は「雪」と呼ばれていたこと…

はざまのカミサマ.33

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」 いつか、神霊の気配に気づいた者が歌に読んだように、 神様も仏様も「この世」とつながっています。 ですから、「はざまのカミサマ」も、「この世」とつながっています。 なにしろ、は…

はざまのカミサマ.32 胡蝶

胡蝶は紅梅が咲いてくれたことが、幸せだったのか。 だから、胡蝶は紅梅の幸いを心から願ったのだ。 黒狐の女は思います。 その想いが言葉になった時に 「美しい」 という言葉になったのでしょう。 胡蝶と紅梅の邂逅は瞬時に終わりました。 光と光が交差した…

はざまのカミサマ.31 胡蝶

赤狐は「花」として「この世」で生きた物語を忘れていました。 「はざまの世」は、さまさまな「この世」とつながっています。 それは、「過去のこの世」であったり、「未来のこの世」であったりします。 「はざまの世」がもっとも「この世」とつながりやすい…

はざまのカミサマ.30 胡蝶

「風だ」 白狐は、黒い狐面の女が、かつてそう呼ばれていたことを思い出しました。 風。 このクニの人たちは、雪月花と同じように、 風を愛します。 けれども、雪月花と風は違います。 風は、雪を散らし、月を隠し、花を溢します。 風には姿がありません。 …

はざまのカミサマ.29 胡蝶

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷やしかりけり そう歌うほど、このクニの人たちは、花や月や雪を愛しました。 「哀れや、ほととぎすは、その歌声だけを愛されたか」 黒狐の微笑みは広がります。 赤い狐面の従者は、自分がかつて「花」と呼ばれたこと…

はざまのカミサマ.28 胡蝶

「雪。月。花」 黒狐の面のつぶやきに、三狐神が振り返ります。 白狐は「雪」 青狐は「月」 そして赤狐は「花」。 かつて、彼らは、そういう名で、呼ばれたことがありました。 雪。月。花。 それらは、このクニで「美しい」とされるものです。 けれど 雪は溶…

はざまのカミサマ.27 胡蝶

はざまのカミサマが冬蛾に与えた姿は、 朽ちた木の葉のような冬蛾を凍らせた姿でした。 凍りついた冬蛾の羽は、月光の下で、まぶしくきらめきました。 冬蛾のイノチは、「この世」の最後に、紅梅と出逢えて幸せでした。 その幸せが、紅梅を寿ぐ「美しい」と…

はざまのカミサマ.26 胡蝶

「紅梅は自分が美しいことを知らなかった」 黒狐面の言葉が、三狐神の頭の中で直接響きます。 「沢山のイノチを看取った冬蛾は、沢山の言葉を預かっていた。それらの言葉は未来への祝福だ。すべてのイノチは、「この世」から「あの世」に逝く時に未来を祝福…

はざまのカミサマ.25 胡蝶

はざまの世では三狐神が「その世」をながめていました。 この冬蛾が、あの紅梅がいる「その世」は、 たくさんある世界のうちのひとつで、 かはたれどきに、はざまの世とつながった世界です。 何故、はざまのカミサマは、冬蛾に凍蝶の姿を与えたのだろうか? …

はざまのカミサマ.24 胡蝶

夜と朝の境界、かはたれとき。 昼と夜の境界、たそがれどき。 たそがれときやかはたれときには、 「はざまの世」が、「あの世」や「この世」とつながりやすくなります。 はざまの世から舞い降りた胡蝶の精霊は、かはたれどきの「その世」でした。 紅梅がいる…

はざまのカミサマ.23 胡蝶

月に照らされて眠っていた紅梅は かはたれ時に、目覚めて花びらを開きます。 紅梅は、冷え切った冬の風に吹かれる中に 胸を張って花びらを開きます。 その冬の風に乗って凍蝶が舞い降りてきます。 紅梅の花びらをかすめて凍蝶は落ちてゆきます。 紅梅は、凍…

はざまのカミサマ.22 胡蝶

胡蝶の精霊が舞い降りた「その世」は、月光の下にありました。 「その世」は三日月の下にありました。 けれども、夜ではありません。 その世のその時は「かはたれとき」でした。 「彼は誰時」は、「誰そ彼時」の反対です。 夜と朝の境界にあるのが、「かはた…