咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

エピソード.7 別離

2017年の8月の今にして思い返せば、

2016年の8月の私は、つまり、1年前の私は、近々に死ぬ気でいたのだと思う。

 

5年生存率5%という病状、「進行性肺がん」という病名を受け入れるには

死を覚悟する必要があった

 

そして、おそらく当時の私は、自分の人生に満足してしまっていたのだと思う。

満足というよりも受容というべきかもしれない。

それでも、自分の人生がここで終わってしまってもしかたがない。

人生の終わりを受け入れるべきだ、そんな思いがあったと思う。

 

思えば、私は親友の一人を50歳で喪っていた。彼も肺がんだった。

私は彼よりも長く生きた。これ以上の年月を望むことは強欲というものかもしれない。

友人に恵まれる私には、親友と呼べる友が他にもいる。

もしも、私が逝けば、私の他の親友たちは災厄からまぬかれるかもしれない

そんなことを思ったりもした。

 

別離を表す言葉が世界にはある

それは、再会を約束する言葉であったり、神の祝福を祈る言葉であったりする

その中で、                                            

「さようなら (左様ならば、そういうことであるならば、しかたがない)」                                       

と、あきらめを伝えることで別離の意味をなす言葉が、日本にだけあるという

私はこのことを知って「さようなら」と友人たちに告げていた

私は不治の病になったしまった。

友人たちは許してくれるであろう。「さようならば、しかたがない」と。

 

どうすれば、おだやかに、美しく死を迎えることができるのだろうか?

 

この頃の私は、そのことばかり考えていた。

おだやかに死ぬこと、つまり、成仏することは、家族や友人の為にもなることだと信じていた。

自分の人生に満足して、悔いなく生きた。だから笑って死ぬ。

まさに「男の美学」でもある

家族も友人も、私が悔いなく生きたことに満足してくれるだろう

 

そして、もしも災厄があるのならば、私がその災厄ごと逝ってやる。  

そうすれば、私の家族や友人は災厄からまぬかれることだろう

 

そんな私の心配は、

「死ねなかったら、どうしよう」

というものになっていた

 

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