咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

エピソード25. 境界

 能舞台とは、≪三間四方≫と呼ばれる舞台と≪橋掛かり≫といわれる通路から成る


 死者である能役者は、橋掛かりを通って三間四方に現れる
 三間四方の舞台の後ろには≪松≫が見える。ここは≪鏡板≫と呼ばれる

 そこにあるのは≪鏡≫であり、正面にある(はずの) ≪松≫の姿を写しているのだ

 つまり「死者」である能役者は、≪正面の松≫と≪鏡板に写った松≫のあいだで、

 能を舞うことになる。

 三間四方は、≪こちらの松≫と≪あちらの松≫の境界

 その、三間四方は≪この世≫で、幕の向こうが≪あの世≫

 ならば、三間四方と幕の向こうをつなぐ橋掛かりとは、

 ≪この世≫と≪あの世≫ をつなぐ場所か

 

 昼と夜のあいだに黄昏があるのだから、

 ≪この世≫と≪あの世≫のあいだには、≪あいだの世≫があるのではないか?

 

━いや、≪この世≫と≪あの世≫に明確な≪境界≫はないのではないか?

 古来、この国の人はそう考えたのではないか。

 

━これが≪死生観≫というものかもしれない

 

 ≪この世≫と≪あの世≫に境界はない。

 だから、能楽ができ、こんな舞台ができた。

 そして能楽は、今でも続いている

 

 ≪過去≫と≪未来≫の境界が≪現在≫ならば

 ≪この世≫と≪あの世≫の境界が≪今≫なのだ

 

 おだやかに死を迎えるということは

 おだやかに今を生きるということなのだ

 

 そう思うと、私は死ぬのが怖くなくなってきていた

 

 清水先生に報告しよう

 

 そんな私の背後で、作家は沈黙していた

  

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