咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

リロード16. 竿頭

f:id:syukugami:20180222224548j:plain

 

「2018年2月の京都での還暦修学旅行」

 私はついに、2015年の9月に、奈落の闇の中から見上げた場所に達した。

 そこに、私はみんなの祈りに報いるために行った。

 私は、「ありがとう」を伝えに行った。

 

 しかし

 みんなの祈りへの「ありがとう」を伝えに行ったはずの私は、

 さらなる「ありがとう」を背負ってしまった。

 私には「ありがとう」が≪重荷≫に感じられてしまった。

 

 夢の場所に辿り着いた私は、燃え尽きていたのかもしれない。

 

  けれども、私は気づいた。

 「ありがとう」は、背負うものではないのだ、と。

 「ありがとう」は、伝えるものなのだろうと。

 

 「百尺竿頭に一歩を進む」という禅語がある。

  百尺の竿の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。

  すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力することをいうらしい。

  転じて

  「ゴール」は常に「スタート」との説明をどこかで知った。

 

  指折り数えて、夢にまでみた≪竿の先≫にたどり着いた私は、

  私は、≪竿頭≫で揺れていたのだ。

  

  そう

  私は、時として激しく揺れることがある。

  私はしかたなく病気と一緒に生きているだけの男だ。

  その病気も、国民の二人に一人が罹患する、というありふれた病気だ。

  そんな病気を抱える私は、

  悟ったわけでも、強いわけでもない。

  

  ただ、絶望には、いささか慣れてきている。

 

  ゴールに達したのならば、その先に歩めばいい。

  次のゴールをつくればよいだけのこと

 

     なにしろ私は、今、生きているのだから

 

 「ありがとう」、そして、また会えるまで、「ごきげんよう