咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

リバース 2 瞬間

複数の友人たちの絶賛の声に背中を押されて、

ようやく映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観ました。

ドキュメンタリーでないことを知りつつも

最後のライブシーンには圧倒されました。

 

以下は映画の感想ではなく、

映画の中の一言から、私が思いめぐらせたことです。

 

「俺は自分が何者かを知っている。

 俺はパフォーマーだ。

 残りの時間の全てを、俺のパフォーマンスを伝えることに使いたい」

 

自分が不治の病気になったことをメンバーに告げた後に、

このような意味のことを言うフレディ・マーキュリーに胸を突かれました。

 

「自分は何者か」ということは、誰もが自問し続ける問いなのでしょうか?

 

『精神腫瘍科の存在を、患者や家族に知らしめる』というミッションを持つ者。

 

私は、かつて、自分をそのような使命を持つ者だと思おうとしました。

私の残りの時間を、誰かのために使うことができれば、

私のこれまでの時間にも意味が生まれると思ったからです。

 

しかし、他でもない、その精神腫瘍科のカウンセリングの中で

私の残りの時間を、誰かのために使わなくとも

私のこれまでの時間には意味があったことを知りました。

 

私が思っていたよりも、私の残された時間が長いのならば

その時間の使い道も考え直す必要があります。

 

いや、残り時間の長短には関係ありません。

私が、今、何をしたいのか?

それだけを私は大切にすればいいのでしょう。

 

映画の中で流れていたQUEENの曲を思い出しながら

そんな、めんどくさいことを考えていました。