咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.秦河勝18

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河勝が、上宮太子の死を受け容れることができないでいても、政治は、歴史は動いています。

上宮太子の子孫は、政治と歴史の中で滅ぼされてしまいました。

河勝には、何もできませんでした。

河勝は絶望します。

河勝は上宮太子に「賭けて」いました。

大陸からの渡来一族の族長である河勝は、このクニを「幸せのクニ」にしたいと夢みていました。

あらゆる民族とあらゆる宗教が生きるクニ。この全てが流れ込む極東の島国ならば、全てを受け容れる上宮太子ならば。それができる。それが河勝の野望でした。

しかし、上宮太子はこの世を去りました。 河勝の野望は夢幻となりました。

上宮一族の族滅の後、河勝は秦一族の力を土地開発に向けさせます。政治からは手を引きます。

河勝にとって、それが「天命」だと思えたからです。すでに神道と仏教、儒教道教が一体化して「天道照覧」という信仰ができあがっていました。「天命」とは「天帝が定めた道」です。太陽の女神を崇めるこのクニの人たちには「お天道さま」というカミサマはとても受け容れ易いものでした。そして河勝たちもこのクニの民になってしまっていました。

秦氏の子孫で、河勝以外に政治の表舞台に昇った者は、誰もおりません。

ああ。もうひとつ、河勝が子孫に遺したものがありました。

伎楽です。

河勝は、上宮太子が彫った伎楽面を抱いて、氏族に語りました。

「いつか、死者と生者が語り合う、そんな芸を、術を、編み出すように」

そう言い遺して河勝はうつぼ舟に乗ってカミサマになりました。

カミサマになった河勝が、カミサマになっていた上宮太子に「はざまの世」で再び逢えたかどうかは、誰も知りません。

やがて時は流れました。

時の帝桓武天皇は、秦氏が開拓した山背の地の名を、「山城国」と改めて遷都することを決めました。

平安京への遷都です。

ウグイスが鳴いておりました。