咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

はざまのカミサマ 15

はざまのカミサマの世の扉は、

どうやら新しい神様や新しい仏様が、

この国土にやって来る機会に開くもの

そう思われていました。

 

初めて「仏教」というものがこの国土に伝来した時にも、

はざまのカミサマの世の扉が開いて、

秦河勝にその中を観せました。

 

天台宗密教がやって来る前にも

桓武帝にはざまのカミサマの世を観せました。

 

はざまのカミサマは、この国土の森羅万象の精気です。

 

森羅万象の中には、当然ですが人間も含まれます。

 

ということは、

もしも、はざまのカミサマになんらかの「意志」があるとしたら、

それは、この国土に住む人々の「総意」というものなのでしょうか。

 

はざまのカミサマは、新しい神様や仏様に「居場所」を与えたように思えます。

 

しかし、新しい神様や仏様がこの国土に至る前に、

はざまのカミサマの世の存在を人々に知らしめているようにも思えます。

 

はざまのカミサマの世の扉は、

ほんとうに新しい神様や仏様の来訪の機会

に開くのでしょうか?

 

はざまのカミサマの世の扉が開く「条件」は、

他には何が考えられるでしょうか。