咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

はざまのカミサマ 16

 

「この世」と「あの世」のはざまにある「はざまの世」の扉は、実はいつでも開いています。

 

昔からのこの島国の民は、そのことを知っていました。

 

たとえば、小さな沼や森にも、「沼のヌシ」や「森のヌシ」がいました。

 

「ヌシ」とは「主」でもあります。

 

山や川と自然の規模が大きくなると、

人々は「ヌシサマ」から「カミサマ」と、

呼び方を変えながら、

もののけ、つまり精霊たちを畏敬していました。

 

そういえば、古事記などの神道の神話や、仏教説話の中で、「もののけ退治」や「鬼退治」の物語があります。

 

これは、もののけたちが、人々から畏敬されていた証拠ともいえます。

 

仏教の「不殺戒」を知る前は、主に「食」を通じて自然の摂理の中で「命」のやりとりがありました。

 

これは、天武天皇の時代に「肉食」を禁じたことからもわかります。

 

豊かな森と清らかな水に恵まれたこの島国は、

森羅万象の命の息吹きに満ちていました。

 

命の息吹きは、精霊たちの精気として、

「感知する能力がある」人々に届きます。

 

はざまの世の扉は、いつも開いていて、

はざまの世を感知する能力者には観ることができる。

 

そのいうものなのかもしれません。