「この世」と「あの世」のはざまにある「はざまの世」の扉は、実はいつでも開いています。
昔からのこの島国の民は、そのことを知っていました。
たとえば、小さな沼や森にも、「沼のヌシ」や「森のヌシ」がいました。
「ヌシ」とは「主」でもあります。
山や川と自然の規模が大きくなると、
人々は「ヌシサマ」から「カミサマ」と、
呼び方を変えながら、
もののけ、つまり精霊たちを畏敬していました。
そういえば、古事記などの神道の神話や、仏教説話の中で、「もののけ退治」や「鬼退治」の物語があります。
これは、もののけたちが、人々から畏敬されていた証拠ともいえます。
仏教の「不殺戒」を知る前は、主に「食」を通じて自然の摂理の中で「命」のやりとりがありました。
これは、天武天皇の時代に「肉食」を禁じたことからもわかります。
豊かな森と清らかな水に恵まれたこの島国は、
森羅万象の命の息吹きに満ちていました。
命の息吹きは、精霊たちの精気として、
「感知する能力がある」人々に届きます。
はざまの世の扉は、いつも開いていて、
はざまの世を感知する能力者には観ることができる。
そのいうものなのかもしれません。