仏教を知る前、この島国では
あらゆる命は、死んだら「他界」に行くものだ。
と、考えられていました。
今日でも、死ぬことを「他界した」とあらわすことがあります。
死後に行く「他界」は、人々の住む地域のそばの高山や海である場合がほとんどです。
人は死んで「この世」を去って「他界」にいきます。
そして、子孫の繁栄と幸せを祈っています。
やがて再び、「この世」に生まれ変わる時まで。
仏教が、「あの世」の存在を教える以前、
人々は、そう信じていました。
この「他界」こそが「はざまの世」なのでしょうか?
その「はざまの世」を感知する能力者とは、
どんな条件が当てはまるのでしょうか?
まず考えられるのは
「死後にカミサマや「人ならぬ者」と成った人物」
が挙げられます。
そういえば、河勝は、聖徳太子の命で、カミサマの依代として、仮面をつけて天下泰平を祈祷する舞を舞ったこともありました。
軍神として祀られた坂上田村麻呂。
も、条件を満たしているといえます。
二人は「はざまの世」を知り、この国土の森羅万象の精神を浴びた影響を受けて、「この世」に変化をもたらしたのでしょうか?
この島国に来るはずだった「未来」の姿を変えたのでしょうか?
そういえば
「死後にカミサマや「人ならぬ者」と成った人物」
であれば、
仏と成った、聖徳太子。
御霊の神と成った、早良親王。
などの人物も、「条件」を満たしていることになります。