咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.西行1

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「なにごとの おはしますかは 知らねども   

 かたじけなさに 涙こぼるる」

そう歌った西行法師は、かつては「北面の武士」佐藤義清という武家貴族でした。

佐藤、という「藤」の文字が入る氏ですから、西行藤原氏です。

その藤原氏の中の武家貴族で、「俵藤太(たわらのとうた)」の二つ名を持つ英雄、

藤原氏郷のハ世の孫にあたります。

尚、人々の名乗る氏の主な氏「源平藤橘」(源氏・平氏藤原氏橘氏)の中で、藤原氏だけが、いわゆる「臣籍降下」、つまり、皇族がその地位を捨てて、臣下の籍になった氏族ではありません。

藤原氏は、天皇家というこの島国の縦糸に対して横糸のように絡みつくことで栄えてきた不思議な氏族です。

その藤原氏の中の武家貴族藤原氏郷は、 「俵山のムカデ退治」という伝説の英雄でもありますが、 歴史的には「関東独立」を号した「平将門の乱」を鎮圧した武将として知られています。

平将門の乱は、桓武帝の皇子が「平氏」となった桓武平氏の裔である平将門が、親族間の境争いや水争いから関東の棟梁の地位を巡る争いから発展して、 ついには、関八州を独立国にして自らは「新皇」を名乗るに至った、という事件です。

桓武帝が「天下静謐」を成した後に、軍団は解散されていたので、その桓武帝の子孫である「新皇・平将門」を征伐する武力を持たない朝廷は、将門らと同じく武家貴族である藤原氏郷らに鎮圧を命ずるしかありませんでした。

坂上田村麻呂蝦夷征伐から、百三十年後のことでした。

平将門の乱をもって「武士の台頭」といわれることもあります。

ちなみに、滅ぼされた将門は、怨霊となったことから、関東を守護する御霊となり、将門神社や神田明神などに祀られています。

その怨霊を鎮めた藤原氏郷もまた、神として祀られています。

 

その氏郷のハ世の孫、西行法師が狐神の姿に気づいたのはいつのことだったでしょう。