咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.西行6

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「和歌を作るのは、花や月をみて

 深く感動した時に、三十一文字は浮かんでくるだけ

 特別な秘訣などは、ありません」

 

 西行は、和歌を作る「秘訣」を訊ねる、そう頼朝に応えます。

 

「生まれながらの歌人」と評された西行には、「秘訣」などは必要なかったのでしょうか。

 

 その優れて豊かな感性ゆえか、

 西行については、いくつもの不思議な逸話が知られていました。

 

西行は、桜の精霊と一緒に、花見をした」

 

 とか

 

西行のおかげで汚濁の世に苦しむ遊女が、月光で浄化されて普賢菩薩となって顕現した」

 

 などという、

 夢か現かわからぬような噂がありました。

 

 

 

さて、和歌についての質問を諦めた頼朝は、弓馬について訊ねることにします。

 

武士の世といえば、「武士の魂は日本刀」と思われがちですが、この当時は、武士は「弓馬の家」と呼ばれていました。

 

「弓馬」から「槍」になり、「日本刀」になる。

という具合に、

 

名乗りを挙げた馬上の一騎打ちから、

槍を持った集団戦闘の時代を経て、

平服での斬り合いの時代。

と、「武士の習い」も時代につれて変わります。

 

頼朝には、男である義経のような、華々しい戦歴、軍歴はありませんでした。

 

しかし、「弓馬の家」である源氏嫡流の御曹司として、鍛錬怠りなく、「かなりの強弓」を引きました。

 

西行も「弓馬の家」である俵藤太藤原氏嫡流です。

西行の弓は、的の中央を射抜いた矢に当たる。

と、その精密な技は名高いものでした。

 

西行は、自分のことは忘れたといい、

「あの若武者は、波の上の扇をよくぞ射抜いたものでした」

と、義経麾下の那須与一の話をしたといいます。

 

西行は、頼朝が「武士は公家と違い、公平である」ということを天下に示すために、弟義経を討ったことを知っていました。

 

そして、そのことで、後世、「判官贔屓」とされる

「敗北する英雄」を美しいと感じる「独特の美意識」

が生まれることも知っていました。

 

はざまのカミサマが、狐神を通じて西行に教えてくれていたからでした。