咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.西行8

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源頼朝という「武家の棟梁」を前にして、 

西行の頭の中では琵琶法師が語る「平家物語」が鳴り響いていました。

 

平氏の勃興から没落までを語る、語り部の姿が

「琵琶法師」であったことには意味があります。

 

滅びた人々が去った後には、「無念」が残ります。

その、残った「無念」つまり「残念」は、鎮める必要があります。

「残念」は、怨念を生むからです

そして、怨念には、怨霊が宿りやすいと思われていました。

 

それで人々は、平氏の怨霊の鎮魂を求めました。

その人々の願いに応える姿こそが、「琵琶を抱えた法師」の姿だったのです。

 

残念を鎮魂するには、音楽と詞章でその霊の「物語」を語るのが良い。

 

人々は、神楽などから、そのやり方を学びとっていました。

 

源頼朝は、勝ったから、源頼朝なのです。

もしも、木曽義仲が勝っていれば、

彼は源義仲で、我は伊豆頼朝だった、かも知れません。

 

頼朝が挙兵した頃、平氏の勢力基盤である西日本では、飢饉が起きました。

旱害です。

蝗に西日本の作物を食い尽くされた平氏に、まだ飢饉が来ていない中部地区の木曽義仲が襲いかかりました。

義仲は、平家を京都から追い落とします。

しかし、今度は義仲の基盤である中部地区が蝗に襲われます。

地元からの兵站補給ができなくなった義仲は、やむなく京都で食糧を調達します。この調達が掠奪となり、義仲は京都の民を敵に回してしまいます。

そんな飢えた義仲軍に、まだ蝗が至っていなかった関東の兵を率いた義経が襲い掛かりました。

 

源義仲源義経に討たれて、木曽義仲になりました。木曽義仲の愛妾は、美貌と武勇の誉れ高い巴御前です。

義仲は自分に殉死しようとする巴御前に、  「小袖を形見として木曽に持ち帰り、義仲の最期の様を物語るべし」と命じます。

巴御前は、義仲の「最期の主命」に従って生き延びます。

義仲は、巴に生きていて欲しかったのでしょう。

義仲の享年は三十一歳。義仲は巴に「行動命令」を与えました。

そのおかげで、巴御前は生き延びて、木曽義仲の最期の様を語り継ぎました。

巴は義仲の最期の望みを叶えます。

それでも、巴は悔やみます。

あの時、義仲様と共に死にたかった、と。

 

諸行無常 盛者必滅 

 

とは、そういうことなのです。