咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.西行12

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西行が「はざまのカミサマ」の使徒であったという証拠はありません。

 

例えば、安倍晴明などは「はざまのカミサマ」の使徒であった疑いがあります。

 

なにしろ安倍晴明は、「狐の子」であったという噂がありましたし、

その上、「式神」という「もののけ」のようなものを使役していたとのことですから。

「狐の子」という事は、「はざまのカミサマ」にお使いする、青、赤、白、黒の四狐神との関わりを示しているのかもしれません。

安倍晴明陰陽道の術者として畏敬されました。

そして、死後にはカミサマとして「晴明神社」などに祀られています。

安倍晴明は、「陰陽道」という、仏教とは異なる世界感を日本人に伝えました。

つまり、世界は「この世」と「あの世」だけが存在するのではなく、

「この世」の中には、異形の者がいることを知らしめたのです。

あるいは、仏教の呪術では払うことができない「オニ」がいる。と、いうことを。

 

安倍晴明は、まるで、「この世」と「あの世」の「はざまの世」からやってきた様です。

 

では、安倍晴明の時代、このクニはどんな状況だったでしょうか?

 

安倍晴明は、藤原道長に重用された。と、史実にはあります。

 

「この世をば わが世と思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」

という歌を詠んだ藤原氏摂関政治の頂点にいた男です。

 

藤原道長の時代は「天下静謐」でありました。

 

しかし、人々は「この世」の中に異形が存在することを認めます。

その異形が人に害をなすが、仏教だけでは抑えきれないことを認めます。

そんな世の中が、そんな世の人々が、安倍晴明を求めたのです。

 

ちなみに藤原道長を頂点にして、摂関政治は陰りを見せます。

藤原家のくびきから逃れるために、天皇が退位して上皇となり「院政」をはじめます。

 

その「院政」の上皇の親衛隊として組織されたのが「北面の武士」であり、

西行こと佐藤義清たち武家貴族たちでした。

 

こうしてみると、安倍晴明も「はざまのカミサマ」の使徒であったのかもしれません。

 同様に、西行法師も「はざまのカミサマ」の使徒だったのでしょうか?

まず、「はざまのカミサマ」の使徒の役割とはなんでしょう?