咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ外伝.西行5

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陸奥のいわでしのぶは えぞ知らぬ

         書き尽くしてよ 壺の石ふみ」

この歌は、慈円の歌への返歌です。

「思ふこと いざ陸奥の えぞいわぬ

         壺の石ふみ 書き尽くさねば」

慈円は、頼朝に亡き義経のことを問います。

しかし、頼朝ははっきりとは答えません。

しかし「えぞ(蝦夷)」や「いわで(岩手)」などの地名を散りばめた技巧的な歌を返しています。

清和源氏嫡流源義朝の三男に生まれた頼朝ですが、

その凶暴なまでの強さから「悪源太」との二つ名をはせた庶兄の長男義平などを差し置いて、早くから義朝の後継者ともくされます。

同じく三男ですが父信秀の跡を継いだ織田信長と同様です。

頼朝も信長も「三郎」と呼ばれていました。

ちなみに、頼朝の末弟が九郎義経ですから、頼朝は九人兄弟ということです。

頼朝は、平清盛によって十四歳で伊豆に幽閉されます。

そして、その幽閉生活は、三十四歳で挙兵するまで、二十年間のながきにわたります。

頼朝の二十年間は平家の天下の下での幽閉生活でした。

世捨て人としての日々でした。

宮中から遠く離れた伊豆の地で、頼朝は雌伏の時を過ごしたのでしょうか?

頼朝は東国武士の盟主の座を目指したのでしょうか?

頼朝の望みは知らず、平家の天下は綻び、武士たちは盟主を求めます。

いえ、この国の歴史が、「天下布武」の担い手を、「天下静謐」を成す者の登場を求めるのでしょうか?

頼朝は、四十六歳で征夷大将軍に任じられるまで、十二年間で、平家を滅ぼし、他の源氏を滅ぼし、弟を含む一族を殺します。

征夷大将軍となった頼朝は、

世捨て人である西行法師に歌について問います。