咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

リブート3.提案

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私が記録したいのは

「友だちが死ぬ(かもしれない)」という時の、

「人の振る舞い」ということになるかもしれない。

友人が死に直面したことを知った時に、人はどう≪対応≫するのか。

さまざまな≪対応≫を体験した者として、普遍性が高いであろうと思う≪対応≫を記録したいと思う。

  

2015年9月5日。つまり入院した翌日、私はFacebookに次のような投稿をした

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「降水確率」を知れば、それに応じて準備ができる

たとえば、今は晴れていても、これから雨が降る確率が
95~80%であるならば、傘を持って出かけるなり、出かけるのをやめるなどの予定を変更するなり、行動は変化する

...

国民の50%の人が持つめんどうなモノをに持つことになった。
たまたま、持った場所がめんどうな場所で、
「めんどう×めんどう」になった
もちろん、今日、明日、どうなるというわけではない
東京五輪を見られない確率が、低いのは自分だけではない
時が有限なのは、すべての人と同じ

起きてしまったことには「是非はない」受け入れるしかない。

これからの有限なる時を一緒に過ごす人たちに
別れにおびえることよりも
一緒にいられることの大切さを
覚悟していることを伝えたい

そんな想いからの「闘病宣言」でした

ごきげんよう

+-+-+-+-

降水確率に5年生存率を模していたわけだが

(5年生存率5%を20%にする治療を行うと主治医に告げられていた)

それが通じたのか通じなかったのかはわからない。

だが、「国立がん研究センター中央病院」という入院先は、投稿をみた者に「不吉」を覚えさせたと思う。

そして私自身は、公開の「遺書」のようなつもりで投稿していた。

この投稿は、私が病気を告げた時に友人が私に与えてくれたアイデアから始まった。
(彼のアイデアは後に「

store.kadokawa.co.jp

」にまでつながる)

その友人のアドバイスとは

「千賀さん、ありのままの闘病記のような≪記録≫は、きっと他の人の役に立つ≪知見≫になると思います」

というものだった。

 

私が病名と入院先と治療の予定を告げた時、

つまり、私が死ぬ(かもしれない)と知った時、

私に「誰かの希望になれる」提案をしてくれた。

 

このことを、まず、≪記録≫しておきたいと思う。