咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

春のカミサマ

春のカミサマ.1

桜の古木(こぼく)の麓(ふもと)には、 虫の村がありました。 秋の最後の満月の日は、 秋と冬とのはざまの日。 昼と夜とのはざまのたそがれ時。 音楽祭が始まります。 歌自慢はもちろんのこと、 歌が苦手な虫は裏方と、 村のみんなが出演します。 それゆえ…

春のカミサマ.2

月夜の道を帰るクモ。 指揮者のバッタを想います。 バッタは息子の親友です。 息子は離れて暮らしています。 クモは小さなため息ひとつ。 祭が終われば冬が来ます。 虫たちがいない、冬がきます。 さらにはケムシもミノムシも、 冬を越えたら、いなくなりま…

春のカミサマ.3

その翌朝にはミノムシが、 冬越え用のミノを受け取りに、 クモの家にとやって来ます。 八本手足を持つクモが、 ミノムシのミノを繕います。 その縫い針はケムシの毛針。 二匹で一緒に住んでいます。 「ミノがあれば誰だって、 冬が越せるかも知れないね」 に…

春のカミサマ.4

今度は、自分のミノを頼もうと、 みんながみんな、大騒ぎ。 その時トノサマバッタ村長の、 大きな声が響きます。 「我らが冬を越せぬのは、 カミサマの定めた理(ことわり)なり」 みんなは揃って姿勢を正し、 一斉に村長に注目します。 「音楽祭は終わった。 …

春のカミサマ.5

それからクモは、ひたすらに、 ミノを作りに作ります。 十着まではすぐできます。 二十をすぎて二十八にもなると、 色とりどりだったミノは、 枯葉の色になりました。 ある夜、ひとり村長が、 クモの様子を見に来ました。 手を止めないクモに代わり、 ケムシ…

春のカミサマ.6

ついに、四十を越えたミノ作り。 いよいよ枯れ葉が固くなり、 ケムシの毛針も折れるほど。 なかなか、はかがゆきません。 それゆえクモはひたすらに、 休まずミノを作ります。 眠りもせずに作ります。 「クモさん、お願い、休んでください」 みんなの希望を…

春のカミサマ.7

そこは、一面の銀世界。 村には昨夜の初雪が、 薄く積っておりました。 戸を閉めたケムシは、 村長の家へと急ぎます。 それからバッタの家へ。 そして、みんなの家にも。 ケムシの歩みは全身で、 のろのろのろのろ進みます。 ですから、ケムシが帰ってきた頃…

春のカミサマ.8

それでも時は流れます。 それでも、春はやって来ます。 その春がゆき、夏が来る頃、 虫の子供たちが生まれました。 虫の子供たち、 みんな合わせて四十七匹。 撫子の林の影で、 子供たちが遊んでいると、 枯葉の山を引きずって、 毛針の怪物が現れました。 …

春のカミサマ.9

「これはミノだよ」 枯葉の山から突然、声が聞こえて、 みんなは飛び上がります。 よくよく見ると枯葉色の翅の怪物が、 枯葉の山の上にいます。 「おれはミノ蛾で、元はミノムシ。 さっきの怪物はケムシくん」 ミノムシといういきものは、 春になったらミノ…

春のカミサマ.10

夏が去って秋になっても、 時が止まったこの家で、 ケムシはケムシのままでした。 村長に頼まれたのに、 ケムシはクモを守れませんでした。 クモの夢も、みんなの夢も、 どちらも、かないませんでした。 しかも、それらの夢たちは、 みなくてもいい夢でした…

春のカミサマ.11

いつしか秋の最後の満月の夜。 外の声に気づいたケムシは、 閉め切っていた戸を開きます。 空には満月と満天の星。 蒼い月明かりのその下に、 村のみんなが並んでいました。 みんなはミノを着ています。 トノサマバッタがお辞儀します。 あの村長の娘です。 …

春のカミサマ.12

すると、晴れた星月夜の空から、 白い雪が舞い降りてきました。 「ああ。クモさんは、ここにいる」 風花(かざばな)が舞う星月夜の下、 静まり返った夜の中、 虫たちの『祝いの歌』は、 誇らしげに響き渡りました。 ミノを着たみんなは一緒に、 翌日から眠…

春のカミサマ.13

いつしかケムシの身体には、 異変がおきてしまいます。 ケムシの毛針は抜けおちて、 硬い皮にて覆われます。 ケムシは動けなくなります。 身動きとれないケムシは、 深い眠りに落ちました。 長い眠りのその果てに、 懐かしい声が聞こえます。 「希望のミノが…

春のカミサマ.14

ケムシは目を覚します。 なんと、ケムシの身体には、 蟻が群がっていました。 蟻たちはケムシの身体を、 地中に運び込もうとしています。 けれどもケムシは動けません。 「ああ、このままではみんなとの、 約束が果たせない」 「ケムシさんを放せ」 そこに飛…

春のカミサマ.15

そのクモが見たものは、 ケムシの変わり果てた姿でした。 大きなクモに襲われて、 蟻は逃げてしまいます。 「ああクモさん。また会えた」 笑ったケムシが見たのは、 息子のクモか。それとも。 まさにその時も時。 ケムシの身体が二つに割れて、 黒い翅が現れ…

春のカミサマ.16

すると、かわたれ時の空から、 白いものが舞い降ります。 「まさか、今ごろ、雪なのか?」 見上げるクモの上に舞い降りてきた、 咲いたばかりの桜の花びら。 暁に舞うのは、 小さな、小さな桜吹雪。 春の曙の光の中。 黒い蝶が起こした桜吹雪が、 村長が眠る…