平安を求めるために、四方を神々に護られた都を作る。
さらには、鬼門にあたる叡山の地に、鎮護国家の寺を新設する。
これだけでは、「天下静謐」は得られないことを、
桓武帝は知っていました。
だからこそ、この仮想敵であった蝦夷を征伐して、天下布武を行なったのです。
桓武帝に、「天下静謐」の為には「天下布武」が必要であることを知らせたのは、誰だったのでしょうか?
仏教の「不殺戒」を信じるだけではなく、大宮人たちは「血の穢れ」を恐れるあまりに、
「矛を止めるための武」ということを、出来るだけ遠ざけようとしました。
ですから、桓武帝に「天下布武」の必要性を説いたのは、渡来系の秦氏や東漢氏である坂上田村麻呂かもしれません。
あるいは、東北の地まで引きこもっていた「はざまのカミサマ」かも…。
いずれにせよ、「天下布武」のおかげで天下は静謐となります。
そして、人々は目の前の生活の中の、境争いや水争いを再開することになります。
そして、その争いの解決策を暴力に求めます。
自力救済のためには、自力の武力が必要なのです。
蝦夷征伐が成功したことで、統一された日本の東北地方から「武」という概念が、まずは東日本へ、やがては日本全体に広がります。
祈るだけでは守れない。
守るためには武力を持たねばならない。
天下布武からの天下静謐は、
この島国の民にそのことを思い出させました。
そして「はざまのカミサマ」の存在も。
「はざまのカミサマ」は、神々や仏様と同じく、人々の「武力」になることを、思い出させました。