咲きも残らず散りもはじめず

タイトルは満開に咲く花を歌った古歌より

はざまのカミサマ40

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ニワトリが先か?タマゴが先か?

 

国津神の子孫らを、天津神の子孫が治める島国。

大陸からこの島国に渡ってきた渡来人たちは、神々の子孫に抑えつけられていました。

 

天津神国津神の神々の子孫に対して、

例えば秦氏のように、秦の始皇帝の子孫であるとか、

東漢氏のように漢の皇帝の子孫である、

と称してみても所詮ヒトの子孫では勝ち目はありません。

 

だから渡来人を代表する立場であった蘇我氏は、

仏教を取り入れることに積極的だったのでしょうか。

 

釈迦を頂点にして、菩薩、明王という三角形を描く階層が、大王を頂点にして、豪族、官吏、民を統治するのに便利であることから、鎮護国家のためという名目で、仏教は大和朝廷の公式の宗教になります。

 

そして、この島々にもともとおわしたカミサマが、「この世」と「あの世」の「はざまの世」移られました。

 

そんな、はざまのカミサマの従者が狐面をつけるようになったのは、人びとが稲作をはじめるようになった頃からだったでしょうか…。

 

稲穂の色と同じく黄金色の狐を、神々の眷属とみなされるようになった頃、はざまのカミサマの従者の顔は、狐面で隠されました。

 

秦河勝が建立した「伏見稲荷大社」にも、狐神が仏神の眷属として祀られています。

 

東漢氏が名乗を変えた坂上氏の坂上田村麻呂が建立した「清水寺」にも、狐神が祀られています。

 

それは、秦河勝坂上田村麻呂が、狐面をつけたはざまのカミサマの従者の姿を垣間見たからかも知れません。

 

狐面たちは、時々、はざまの世から人の世に忍び込みます。

 

狐面の従者が人の世に忍び込むのは、はざまのカミサマが、人の世をあやつることを目的にしているからなのでしょうか?