咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

2023-01-22から1日間の記事一覧

胡蝶 1

「胡蝶でした」 そのイノチは気づいた時には、そう答えていました。 「この世」を離れて「この世」の姿を捨てた時には、一瞬、イノチの意識が遠くなりました。 その次の瞬間にはイノチの眼前いっぱいに青い狐面が現れました。 そして青い狐面から「この世」…

胡蝶 2

このクニではすべてのイノチは、「この世」での時間を使い果たすと、「この世」での姿を捨てて「あの世」に行きます。 他のクニ、「あの世」は遥か遠く離れた処だそうですが、ここでは、故郷の山の高みなどにあるようです。 そして、このクニのイノチは死ん…

胡蝶 3

他のクニの中には「神様」がただ一人しかいない国もあるようですが、このクニには「カミサマ」がたくさんいました。 あまつさえ、人として生まれても大成功した者や、時には悪行を為した者でさえも、その甚だしき者は神様として崇められ畏怖されました。 し…

胡蝶 4

ところで、青狐がイノチに質問したのには理由がありました。 「この世」に強い願いや思いを残したイノチは「この世」と「あの世」の間にある、ここ「はざまの世」の三間四方の正方形の舞台の上で、残した願いや思いを物語り、「はざまのカミサマ」に聞いてい…

胡蝶 5

その赤狐が呪文を呟きながら舞いをひとさし舞うと、イノチの姿形が見えてきました。 そこには可憐な紋白蝶が舞っていました。 「紅梅の紅には、白い翅が似合うだろう」 赤狐は面の下の口角を上げます。 紋白蝶は、はらはらちらちらと「はざまの世」を飛び回…

胡蝶 6

「さあて、これで紅梅と出会うことができたな」 赤狐は紋白蝶を見失った手前、早口で言いました。 「はは。いやいや、そうはいかぬ」 白狐が低く笑います。 「あれでは、出会ったことにはならぬ。互いに見合ってからこその出会い。紅梅は雪の中の胡蝶を見分…

胡蝶 7

「不思議な話だな。このままでは、らちが明かぬ。イノチよ、もう一度、紅梅の処へ行ってみよ」 白狐がイノチに言いました。 「ならば、是非もなし。ちと、力を貸せ」 赤狐の言葉に青狐と白狐がうなずきます。 三色の狐はイノチの周りを舞いながら一周します…

胡蝶 8

イノチは、またも「はざまの世」に戻りました。 狐達は不思議な敗北感に包まれました。 その時まで沈黙していた黒狐が、初めて声を上げました。 「胡蝶を名乗るイノチよ、お前の『物語』をきかせておくれ」 「胡蝶を名乗るだと、汝の名は何か?」 青狐の問い…

胡蝶 9

このクニでは、時は過ぎ去ってしまうものではなく、積み重なるものであると考えます。 そして、長く生きることは、カミサマに近づくことだと考えられています。 なにしろ道具でさえも、長い時を経たものには「付喪神」というカミサマが宿ると考えられたほど…

胡蝶 10

「だから、もしも紅梅との別れの時がきたとしても、その別れを悲しむよりも、紅梅と出会えたという奇跡こそを寿ぐことができるだろう。我は、そう思いました」 一方、紅梅には冬蛾は見えません。 紅梅にとって冬蛾の姿は雪の中の枯れ葉にしか見えません。 相…

胡蝶 11

しかし、最初に咲く花は誰にもその美しさを愛でられることはありません。 紅梅は、己の美しさへの祝福を受けることなく孤独に咲いては散ってゆきます。 だからこそ伝えたい。イノチは強く思いました。 「美しい。あなたは美しい」 その時、黒狐が叫びます。 …

胡蝶 12

砕け散った凍蝶は、のような粉となって紅梅に降り注ぎました。 イノチは、自分があたたかい風になって、紅梅を包み込んでは吹き抜けたような気がしました。 『我は、春風になったのか?』 遠ざかる意識の中で、イノチはそう思いました。 紅梅は、確かにあた…

胡蝶 13

「語りきったか」 青狐が吐息交じりに言います。 「紅梅は、自分が美しいということを知らなかった」 黒狐の唇が赤く咲きます。 「紅梅はあらゆる花に先駆けて咲く花。紅梅への祝福は、あらゆる花への祝福となる」 赤狐が顔を上げます。 「美しいという言葉…