咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

胡蝶 10

「だから、もしも紅梅との別れの時がきたとしても、その別れを悲しむよりも、紅梅と出会えたという奇跡こそを寿ぐことができるだろう。我は、そう思いました」

 一方、紅梅には冬蛾は見えません。

 紅梅にとって冬蛾の姿は雪の中の枯れ葉にしか見えません。

 相変わらず冬蛾はただ見つめるだけです。それでも冬蛾は幸せでした。

 とはいえ、いつまでも、見つめていることはできません。

 冬蛾は長い時を使い果たしていましたし、紅梅の花びらが開いているのは僅かな時間だけです。

 ついに、紅梅の花びらが一枚寒風に散った時、冬蛾は「この世」を去りました。

 それでも冬蛾は、初めて相手よりも先に、つまり相手を見送ることなく、「この世」を去ることができました。

 こうして冬蛾は、紅梅と出会えたことを寿ぎながら「この世」を去りました。

 そして、冬蛾の姿を捨てたイノチとなって「はざまの世」にきました。

 

 ところが、それらのすべてのことを、イノチは忘れてしまっていたのでした。

 

「なるほど、胡蝶ならば出会えぬはずの紅梅に、お前は冬蛾であるがゆえに出会うことが叶ったというわけか」

 青狐が物語をまとめます。

「はは。だから、お前は紅梅と縁を結びたいのか」

 白狐はイノチに問います。

「いいえ、私の望みは」

 イノチは静かに応えます。

「伝えたいのです」

「お前の想いを、か」

 赤狐が重ねて問います。

「美しいという祝福を」

 イノチは呟きました。

「美しい。だ、と」

 赤狐が繰り返します。

 紅梅は、生命が死に絶えた冬を割って、孤独に咲きます。

 紅梅は、生命が絶えた「この世」に新しい生命が咲くことを告げる花です。

 この世に、春があることを思い出させてくれるのが紅梅です。