このクニでは、時は過ぎ去ってしまうものではなく、積み重なるものであると考えます。
そして、長く生きることは、カミサマに近づくことだと考えられています。
なにしろ道具でさえも、長い時を経たものには「付喪神」というカミサマが宿ると考えられたほどです。
ですから本来ならば、長く生きることは幸せなことなのです。
けれども、冬蛾にとって長く生きることは不幸なことでした。
冬蛾は、誰からも知られることなく、他の生命を見送り続けます。
冬蛾は、どんなに苦しくても悲しくても生き残ってしまいます。
冬蛾というのはそういうものなのです。
冬蛾には、世界は色彩のない白と黒だけに見えていました。
色彩を失った冬の中で、冬蛾はいったい、いつまで生きれば良いのだろうか、と自分の運命を呪いました。
そんな冬蛾にも、ようやく「この世」を去る時がやってきます。
ところが、待ち焦がれていた死が訪れる直前に、冬蛾は紅梅を発見します。
冬蛾は白黒の世界を割って咲く紅梅を見つけたのです。
「絶望の奈落の底にいた時に、あの花が咲きました。あの紅色は冬を溶かす灯火か。我はそう思いました」
冬がきてからは、見送るばかりだった冬蛾にとって紅梅は初めて出迎えた生命でした。
冬蛾は、出会いは別れと繋がっていることを知っていました。
別ればかりを繰り返してきた冬蛾は誰かと出会うや否や、別れの悲しみに怯えるようになっていました。
しかし、紅梅はちがいました。
冬蛾は、自分の生命が終わる時の紅梅との邂逅を、最後の最後に紅梅と巡り合えたことを、「奇跡」だと思ったのです。
紅梅は、白黒の世界に灯る紅い灯火。
紅梅は、奈落の底から見上げた希望の星。
紅梅は、世界を変えてくれた花。
冬蛾に希望を与えてくれた紅梅は、冬蛾にとって希望そのものになったのです。