翌日、みんなが、ケムシに『おやすみなさい』をいいにきました。
これが村の冬眠前の儀式です。
最後の挨拶は、ミノムシです。
「ケムシさん、春までおやすみなさい。クモさんに、よろしくお伝えてください」
「はい。春に会いましょう」
ケムシもミノムシも、春になってミノ蛾になったミノムシが、ケムシのことを忘れてしまうだろうことに触れずにいます。
空の虫であるミノ蛾になってしまったら、地の虫が住むこの村の神話も忘れてしまうかもしれません。
いや、もしかしたら、ミノ蛾になっても覚えているかもしれません。
ふとしたきっかけで、思い出すことがあるかもしれません。
どちらにしても、ケムシはミノムシのことを憶えています。
ケムシにとっては、ミノムシが、またケムシに会えると信じて眠ることが大切なのです。
だから、ケムシはミノムシと再会を約束して別れるのです。
ミノムシはにっこりと去っていきました。
これから、あの花が咲くまでは、ケムシはひとりぼっちです。
けれども、ケムシはこれまでのように淋しくはありませんでした。
ケムシはクモを待っていましたから。
よく晴れた日には、ケムシは白菊の丘まで出かけました。
白菊の丘からは、隣村への一本道がよく見えます。
隣村のクモがやって来るとしたら、ここから見えるのです。
その日は、朝から静かな雨が降っていました。
昼になって雨はやんだものの、空は厚い雲に閉ざされていました。
この日はクモがこの世を去った日でした。
朝から迷っていたケムシは、雲の合間からさしこむ陽の光を見て、白菊の丘まで出かけることにします。
ケムシがのろのろ進む雨上がりの道からは、冷気が立ち上ります。
ようやく白菊の丘まで辿り着いたものの、雲は低くたれこめて、隣村への道もぼんやりとしています。
ケムシはため息をひとつ落として、来た道をとぼとぼとぼとぼ、帰っていきました。
帰り道で降り出した冷たい雨に濡れたケムシは、冷え切った体で家に帰りつきます。
ひどく寒気がして震えが止まりません。
その夜からケムシは熱を出しました。
ケムシの体に異変が起きていました。
ケムシの毛が全て抜け落ちてしまいます。
ケムシの体が硬く固まってしまったのです。
「ああ、いよいよ、『あちら側』に行く時が来たのだな」
ケムシは、大きく息をはきました。
とても穏やかな気持ちでした。
「これで、ようやくカミサマの罰が終わる」
ケムシはいつまでも自分の命が終わらないことが、カミサマの罰だと思っていました。
ケムシは、クモを失った自分が、ケムシのままで冬を越した時、自分こそがカミサマへの贖罪に選ばれたのだと思いました。
「クモさんに罰が当たらないで、よかった」
カミサマの理を変えてしまった罰は、誰か受けねばならない。
ケムシは、そう思っていました。
カミサマの罰が、他の誰でもない自分にくだりますように。
ケムシは、そう願っていました。
ケムシの願いは叶えられました。
ケムシは子を持つこともなく、つまり命を繋ぐこともなく、長く生きました。
「命を繋ぐことができない私は、いつまで生きれば、カミサマに許していただけるのか」
ケムシの心は、たくさんの命を見送る度に擦り減りました。
それでもケムシは甘んじてカミサマの罰を受けました。
自分が罰を受ける限り、自分が贖罪を続ける限り、他の誰にもカミサマの罰がくだることはない。
そのケムシに与えられたカミサマの罰が、どうやらようやく終わりを告げるようです。
「これでまた、みんなと一緒になれる」
ケムシの胸は、穏やかに凪ぎました。