咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

カミサマになったクモ・39

 翌日、みんなが、ケムシに『おやすみなさい』をいいにきました。

 これが村の冬眠前の儀式です。

 最後の挨拶は、ミノムシです。

「ケムシさん、春までおやすみなさい。クモさんに、よろしくお伝えてください」

「はい。春に会いましょう」

 ケムシもミノムシも、春になってミノ蛾になったミノムシが、ケムシのことを忘れてしまうだろうことに触れずにいます。

 空の虫であるミノ蛾になってしまったら、地の虫が住むこの村の神話も忘れてしまうかもしれません。

 いや、もしかしたら、ミノ蛾になっても覚えているかもしれません。

 ふとしたきっかけで、思い出すことがあるかもしれません。

 どちらにしても、ケムシはミノムシのことを憶えています。

 ケムシにとっては、ミノムシが、またケムシに会えると信じて眠ることが大切なのです。

 だから、ケムシはミノムシと再会を約束して別れるのです。

 ミノムシはにっこりと去っていきました。

 これから、あの花が咲くまでは、ケムシはひとりぼっちです。

 けれども、ケムシはこれまでのように淋しくはありませんでした。

 ケムシはクモを待っていましたから。

 

 よく晴れた日には、ケムシは白菊の丘まで出かけました。

 白菊の丘からは、隣村への一本道がよく見えます。

 隣村のクモがやって来るとしたら、ここから見えるのです。

 その日は、朝から静かな雨が降っていました。

 昼になって雨はやんだものの、空は厚い雲に閉ざされていました。

 この日はクモがこの世を去った日でした。

 朝から迷っていたケムシは、雲の合間からさしこむ陽の光を見て、白菊の丘まで出かけることにします。

 ケムシがのろのろ進む雨上がりの道からは、冷気が立ち上ります。

 ようやく白菊の丘まで辿り着いたものの、雲は低くたれこめて、隣村への道もぼんやりとしています。

 ケムシはため息をひとつ落として、来た道をとぼとぼとぼとぼ、帰っていきました。

 帰り道で降り出した冷たい雨に濡れたケムシは、冷え切った体で家に帰りつきます。

 ひどく寒気がして震えが止まりません。

 その夜からケムシは熱を出しました。

 ケムシの体に異変が起きていました。

 ケムシの毛が全て抜け落ちてしまいます。

 ケムシの体が硬く固まってしまったのです。

「ああ、いよいよ、『あちら側』に行く時が来たのだな」

 ケムシは、大きく息をはきました。

 とても穏やかな気持ちでした。

「これで、ようやくカミサマの罰が終わる」

 ケムシはいつまでも自分の命が終わらないことが、カミサマの罰だと思っていました。

 ケムシは、クモを失った自分が、ケムシのままで冬を越した時、自分こそがカミサマへの贖罪に選ばれたのだと思いました。

「クモさんに罰が当たらないで、よかった」

 カミサマの理を変えてしまった罰は、誰か受けねばならない。

 ケムシは、そう思っていました。

 カミサマの罰が、他の誰でもない自分にくだりますように。

 ケムシは、そう願っていました。

 ケムシの願いは叶えられました。

 ケムシは子を持つこともなく、つまり命を繋ぐこともなく、長く生きました。

「命を繋ぐことができない私は、いつまで生きれば、カミサマに許していただけるのか」

 ケムシの心は、たくさんの命を見送る度に擦り減りました。

 それでもケムシは甘んじてカミサマの罰を受けました。

 自分が罰を受ける限り、自分が贖罪を続ける限り、他の誰にもカミサマの罰がくだることはない。

 そのケムシに与えられたカミサマの罰が、どうやらようやく終わりを告げるようです。

「これでまた、みんなと一緒になれる」

 ケムシの胸は、穏やかに凪ぎました。