ところが、そんなミノムシの前に、クモがするするすると現れたのです。
木の枝からぶら下がるミノムシの前に、糸にぶら下がったクモが現れたのでした。
「あれえ、クモさんがいる。え。じゃあ、あれは、やっぱり、夢だったのか」
混乱するミノムシに、クモがいいます。
「ミノムシくんのおかげで、みんなのミノを作ることができたよ」
「ああ。そう。では、間に合ったのですね」
ミノムシは、さっき見た足元の光景こそが夢だったのだと思います。
「実は、嫌な夢を見たんです。ミノが間に合わない夢を。クモさんが、その、死んじゃう夢を」
ミノムシが、てへへへ笑います。
「あれが夢で良かった。これでバッタくんたちは、春を見ることができる。みんなの夢を叶えることができたのですね」
クモがミノムシをさえぎります。
「バッタくんが、春を見ることはない。それは、カミサマが決めたことなのだろう。だからこそ、バッタくんたちは、春を見ることなど、夢にも思わなかったのかもしれない」
ミノムシはクモのいう事がわかりません。
いや、いっている意味はわかるのですが、何故、そんなことをいいだしたのかが、わからないのです。
「でも、もう、夢にみてしまったのです。春を見るという夢を」
ミノムシが続けます。
「クモさんは、そんなみんなの夢を叶えたのです。すごいです」
「みんなの夢、なのかなあ。そもそも、みんなは夢にも思ったことがなかったのだよね。春を見るなんて」
そして、クモは続けます。
「私はただ、バッタくんともう少しだけ一緒にいて欲しいと思っただけなので」
クモは、うしろめたそうです。
「実は、昔、私は、バッタくんを食べようとしたことがあったのだ」
「え」
「バッタくんが子どもの頃、私の巣に引っかかったことがあった」
クモは、蜂や蝿など、空の虫を食べることが多いのです。
そのためにクモは糸で編んだ巣で空の虫たちを捕まえます。
「するするとバッタくんに近づいた私に、息子が『バッタくんは友だちなの。だから、お願い。食べないで』と泣いて頼むので、私はしかたなくバッタくんを放してやったことがあったのさ」
クモが苦く笑います。
「それなら、クモさんは、これで、二回もバッタくんの命を救ったことになりますね」
「そうかな」
「そうでしょう」
「いや、可愛い息子が泣いて頼むものだからね。だから、バッタくんを救ったのは、私ではなく、息子だと思うのだが」
「そうですかね」
「だからミノのことも、バッタくんに息子を重ねて、『この子と一緒にいたい』と」
「いや、はじまりはそうだったのかもしれない。そんなものでしょ。何事もきっと」
「そうかな」
「そうですよ」
「でもね。バッタくんともう少しだけ一緒にいたい、という、いわば私の我が儘だよ」
ミノムシは力をこめます。
「クモさんの我が儘だろうがなんだろうが、そのおかげで、結果として、みんな幸せになったのですからね。きっとそうですよ」
ミノムシはさらに力みます。
「とにかく、クモさんは、やり遂げたのですから。すごいです。すごいことです。バッタくんたちの夢を叶えたのですから、おれも誇らしいです」
「いや、夢は叶わなかった」
「え。だって、ミノを作り上げたって」
「ミノはできたのだ。みんなの分のミノは作り上げたのだけれど、間に合わなかった」
「もしかしたら、ミノができあがるよりも先に」
「雪が降った」
クモもミノムシも一緒に黙り合います。
「クモさん」
「私のミノは間に合わなかった。私は、間に合わなかったのだ」
クモが、ため息を落とします。
「消えていってしまうものを、必要以上に儚んではいけない。運命だと思って諦める」
「なんですか」
「いや、前にケムシくんに教えたことがあるのさ。実は彼には教えなかったけれど、ケムシくんがケムシでいる時間は、バッタくんたちよりも遥かに短い」
クモが、もう一度、ため息。
「だから、ほんとうは、ケムシくんが消えてしまうことを、ケムシくんを失うことを、必要以上に儚まないようにと、自分への戒めだったのさ」
「運命だと思って、諦めるしかない。と」
「ケムシくんは、今、どうしているだろう。みんなの死を、必要以上に儚んではいないだろうか。儚むことと、愛おしむことは、似ているけど。違うことを、ケムシくんに、伝えたかった」
ミノムシが眉を上げます。
「どうして、そんなふうにいうんですか」
「バッタくんたち、村のみんなが死んでしまったのだ」
ミノムシの胸が暗くなります。
「それじゃあ、やっぱり、あれは夢ではなかったのか」
クモが呟きます。
「私はみんなに夢をみせるだけで、夢を叶えることはできなかった。私は、叶わない夢をみんなにみせてしまった」
「クモさん」
「いっそのこと、ミノのことなど、思いつかなければよかったのかもしれない」
「いや、それはない。それはないですよ」
「ミノのことなど思いつかなければ、みんなをぬか喜びさせることはなかった」
「そんなことをいい始めたら、ぼくが、クモさんにミノの繕いをお願いしなかったら、クモさんはバッタくんのために、ミノを作ることを思いつかなかったことになります。つまりは、ぼくにも責任があることになる。それに、ぼくは、糸まで提供している。ケムシくんにだって、責任があることになる」
「しかし、実際にミノを作ったのは私だ。だから、私に、カミサマの罰が下ったのだろうか」
「カミサマの罰ですって」
「ああ、虫たちに春を見せるなどということは、カミサマの理に背くことではないか」
「誰か、そんなことを、クモさんに向かっていったのですか」
「いや、誰もいわない。私が、そう思った。私は、カミサマの理を曲げようとした」
「クモさん」
「だから、私に、罰が下った」