咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

胡蝶 5

 その赤狐が呪文を呟きながら舞いをひとさし舞うと、イノチの姿形が見えてきました。

 そこには可憐な紋白蝶が舞っていました。

「紅梅の紅には、白い翅が似合うだろう」

 赤狐は面の下の口角を上げます。

 紋白蝶は、はらはらちらちらと「はざまの世」を飛び回ります。

 しかし、正方形の床には紋白蝶の影は映りません。

 狐達が目で追う中、ふと、掻き消えたその紋白蝶は、次の刹那には、輝く壁面に並ぶ小窓のひとつの中を飛んでいました。

「はは。白い雪に白い蝶か」

 紋白蝶が飛び込んだ小窓をのぞき込んで、白狐が笑いました。

 

 ここ「はざまの世」は小窓を通して様々な「この世」と繋がっています。

 実はあまり知られていませんが、「この世」と呼ばれる世界は無数にあるのです。

 無数の「この世」の中で、様々な生命達の「物語」が進行します。

 そして、それぞれの「この世」の中でそれぞれのイノチ達が、その「定められた時」を使い果たした後に、ここ「はざまの世」にやってくるのでした。

 

 紋白蝶は、そんな「この世」の中のひとつに戻っていました。

 紋白蝶は戻ったのは、色彩がない白と黒だけの雪景色の世界でした。

『この世界を、我は知っている』

 紋白蝶の姿を得たイノチは、蘇ってきた記憶の断片にときめきながら羽ばたきます。

 やがてついに紋白蝶の行く手に、紅色がひとつ見えてきました。

 それこそは、雪を割ってほころぶ一輪の紅梅です。

 白い雪が降り積もった枝の上で、雪を割るように、紅の蕾がひとつだけほころんでいました。

 折から雪が舞い降りてきます。

 雪が蕾に降りかかります。

 雪は蕾を埋めてしまいます。

 雪は音を包み込むので世界は静まり返ります。

 沈黙の中で白い雪は、時のように紅梅の上に降り積もります。

 

 気づくとイノチは「はざまの世」に戻っていました。

 狐面達が紋白蝶を見失ってしまったのです。

 雪が舞う中を、ひらひらちらちらと舞う紋白蝶の姿は、雪の一片のようにも見えました。

 見失ってしまったことで、赤狐の妖力が紋白蝶に届かなくなったのです。