その赤狐が呪文を呟きながら舞いをひとさし舞うと、イノチの姿形が見えてきました。
そこには可憐な紋白蝶が舞っていました。
「紅梅の紅には、白い翅が似合うだろう」
赤狐は面の下の口角を上げます。
紋白蝶は、はらはらちらちらと「はざまの世」を飛び回ります。
しかし、正方形の床には紋白蝶の影は映りません。
狐達が目で追う中、ふと、掻き消えたその紋白蝶は、次の刹那には、輝く壁面に並ぶ小窓のひとつの中を飛んでいました。
「はは。白い雪に白い蝶か」
紋白蝶が飛び込んだ小窓をのぞき込んで、白狐が笑いました。
ここ「はざまの世」は小窓を通して様々な「この世」と繋がっています。
実はあまり知られていませんが、「この世」と呼ばれる世界は無数にあるのです。
無数の「この世」の中で、様々な生命達の「物語」が進行します。
そして、それぞれの「この世」の中でそれぞれのイノチ達が、その「定められた時」を使い果たした後に、ここ「はざまの世」にやってくるのでした。
紋白蝶は、そんな「この世」の中のひとつに戻っていました。
紋白蝶は戻ったのは、色彩がない白と黒だけの雪景色の世界でした。
『この世界を、我は知っている』
紋白蝶の姿を得たイノチは、蘇ってきた記憶の断片にときめきながら羽ばたきます。
やがてついに紋白蝶の行く手に、紅色がひとつ見えてきました。
それこそは、雪を割ってほころぶ一輪の紅梅です。
白い雪が降り積もった枝の上で、雪を割るように、紅の蕾がひとつだけほころんでいました。
折から雪が舞い降りてきます。
雪が蕾に降りかかります。
雪は蕾を埋めてしまいます。
雪は音を包み込むので世界は静まり返ります。
沈黙の中で白い雪は、時のように紅梅の上に降り積もります。
気づくとイノチは「はざまの世」に戻っていました。
狐面達が紋白蝶を見失ってしまったのです。
雪が舞う中を、ひらひらちらちらと舞う紋白蝶の姿は、雪の一片のようにも見えました。
見失ってしまったことで、赤狐の妖力が紋白蝶に届かなくなったのです。