「私も、ケムシさんほどではないけれど、ミノムシさんよりは長く生きています。長く生きていると、何が起こるかというと、沢山の別れがあります。多くの命を見送ることになります」
「命を見送る」
ミノムシが繰り返します。
「ええ。別れの度に、悲しみに襲われます。誰もが、いつかは必ず死にます。そんなことはわかっています。でも、別れは悲しい」
「おれは、おれがミノ蛾になる時には、今のミノムシの頃の『別れ』を忘れてしまうのだろうか」
そこで、ミノムシが顔を上げます。
「そうか。もしかしたら、ケムシさんも、ほんとうならば、ケムシから別の生きものに変わる時に、それまでの『悲しみ』を忘れるのかも知れない。けれど」
「ケムシさんはケムシさんのままで、生き続けている」
「そして、ケムシさんの不幸は、ただ、長く生きてしまったことではなく、いつ、自分は自分で無くなってしまうかがわからない恐怖を抱えて明日を迎え続けたことかもしれません」
クモとミノムシは、黙り込んでしまいました。
「まあ、あくまでも、『幸せではないようにも見える』ということですから」
「そうそう。何しろ、カミサマになったわけですからね。ケムシさんは」
「でもね。死んだ後に、カミサマになって語り継がれることは、みんなの中で生き続けることだけれど、生きたままで、語り継がれることは、悲しいこと、辛いこと、いや、切ないことなのかもしれない」
ミノムシがため息ひとつ。
「クモさんの『消えていくものを必要以上に儚んではいけない」という言葉は、たとえ理解できるとしても、自分に降りかかってきたら、自分の心を、気持ちを制御することは難しい。他のケムシであれば何代にもあたる長い長い日々を、時間を、ケムシさんは、その『痛み』と向き合ってきたわけか」
クモもため息を落とします。
「父の教えは、『憶えていてくれたら、消えてしまうことはない』という意味かとも思います」
クモが顔を上げます。
「父がミノを作ったことで、私たちは、会ったこともない、バッタくんのお爺さんたちのことさえ憶えています。私たちが憶えている限り、今はいない誰かも、かつては確かにこの世界にいたこということの証になる。ある意味、いまだにこの世界に『いる』のです。これは、とても幸せなことだと思いますよ」
「もしかしたら、いや、違うかな。いや、きっとそうだ」
指を鳴らすミノムシをクモが見ます。
「お父さんが、『ケムシさんに会え』といったのは、ケムシさんを救って欲しいということではないかな」
ミノムシの言葉に、クモの目に灯がともります。
「そうか。そうかも。ああ、そうですね。父さんは、ケムシさんのことを心配しているはずです。でも、救うって、どうやって」
「それは、きっと、ケムシさんの傍にいることだね。うん。おれは、ケムシさんの傍にいてあげるよ」
「私には、私の村があります」
「体は傍にいなくても、いいんだよ。離れていても、身近にいなくても、一緒にいることはできるんじゃないかな」
「ええ。父と同じ時を過ごしたケムシさんとは、私ももっともっと一緒にいたいです」
クモとミノムシは笑顔を交わします。
穏やかで暖かな空気に包まれたミノムシは糸をはき出し始めます。
クモも黙ってミノの繕いを再開します。
秋の夜は、しんしんと更けてゆきました。