はざまのカミサマ.5
「それでも、はざまのカミサマは、おわします」
白狐には、黒狐の女の唇が咲いたわけがわかります。
たとえ、胡蝶と紅梅の邂逅が、刹那であろうとも。
たとえ、はざまのカミサマを信じる人びとが、根絶やしにされようとも。
白狐は「雪」と呼ばれていたことがありました。 雪が降って、積もって、溶けて、流れて、天に昇って、また、雪になって舞い落ちます。
胡蝶と紅梅の邂逅は、たしかに「在った」ことなのです。
もう二度と巡り会えないかもしれない。
けれども、
たしかに「在った」ことは、
「無かった」ことにはなりません。
起こったことは消えることはないのです。
だから、哀しむことはないのです。
だから、悲しむことはないのです。
もしも忘れたとしても、 起こったことならば、 いつかは思い出すことがあるかもしれない。
もしも思い出したならば、 それはそれは美しい記憶として、思い出すことでしょう。
すべてのイノチが、はざまのカミサマの世を通ります。
すべてのイノチが、はざまのカミサマの世に在ります。
はざまのカミサマは、すべてのイノチのカミサマなのです。