咲きも残らず 散りもはじめず

今日見ずは くやしからまし 花ざかり 咲きも残らず 散りもはじめず               ー満開に咲く花を歌った古歌よりー

カミサマになったクモ・43


「もしかしたら、あの花もひとりぼっちなのかもしれない」

 それまでのケムシは、花の孤独など考えたこともありませんでした。

 いや、そもそも、花のことを個別に考えたこともありませんでした。

 ケムシにとっての花とは、「食べ物の中の、あまり美味しくない部位」でしかなかったのです。

 それでも、花も生きものであること、生きものであるのならば、心があるだろうということは、ぼんやりとは思っていました。

 思えば、幾度かの春夏秋冬を過ごしたケムシは、たくさんの花を見てきました。

 これまでは、ケムシにとって、特別な花などはありませんでした。

 ところが、あの赤い花だけは、ケムシにとって特別な花になりました。

 ケムシは、思いもかけず、クモのミノ作りに関わってしまったばかりに、ただのケムシではない、特別なケムシになってしまいました。

 それでも、ケムシは、その運命を受け容れました。

 家族を持つことがなかったケムシは、自分は、ひとりぼっちからは逃れられない運命だと思っていたからです。

 あの花は、そんなケムシに、ケムシだけがひとりぼっちではないと思わせてくれました。

 どんなにたくさんの花が咲こうとも、ケムシの中に咲く花は、あの花だけです。

「私にも、特別なものができた」

 ケムシの胸に何かが流れます。

 ケムシは、自分にも大切なものができたことを知りました。

 そして、大切なものがあると、こんなにも幸せな気持ちになれることを。

「あの花に、声をかけたい」

 ケムシは、思います。

 それは、どんな言葉かはわかりません。

 ただ、ケムシは、あの花がひとりぼっちではないことを、花を見ているものがいることを、花が咲いてくれて嬉しく思うものがいることを、花に知って欲しかったのです。 

 こんな気持ちには、何と名付ければ良いのでしょうか。

 ケムシは、紅い花に近づきます。

 ところが、そこに、雪が降ってきました。

 白い蝶の姿のケムシは、降りしきる雪に紛れてよく見えません。

 それでも、ケムシは、紅い花に近づきました。

 紅い花の傍で、降りしきる雪の中で羽ばたく白い蝶のケムシ。

 降る雪に花びらをすぼめてしまっている紅い花は、白い蝶に気づきませんでした。

 

 ケムシは、そこで目が覚めました。

 夢を見ていたようです。

「ぼくは、蝶になった夢をみていたのか。それとも、蝶がケムシになった夢をみていたのか」

 ケムシは、変身しています。

 今の体は、どう見てもケムシではありません。

 ケムシの体は固くなって、もう、身動きができません。

 ケムシは、誰かに体を触られているような気がします。

 けれども、固くなったケムシの体は、触られている感覚も鈍くしか感じません。

 それよりなにより、ケムシは眠くて眠くて仕方がありません。